Over the Rainbow

今日が、10/23ですからこの記事を下書きしてちょうど2ヶ月が経過していたことになります。

すぐにアップする気でいたのですが、なぜだか、こんなに日が過ぎてしまって
自分でも不思議です。

でも、今日アップすることになったのですから、これも神様のいたずらなのだと思います。

何も書きかえずそのままアップしようとおもいます。




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皆さん、お元気ですか?
オリンピックも終わり、朝夕めっきり涼しくなり、夏の盛りを通り過ぎた気がしてちょっぴり切なくなっています。

今日は、お伝えしたいことがあって、久々にこのブログを開きました。

このブログを終了したと同時に、活字中毒の私は発散の場所として別のブログをスタートしていました。

このブログはイントラとしての私の一姿でしたから、いつかイントラを再開するまではこのブログには書きたくなかったんです。

新しいブログは、ただ自分の為だけに書いていました。
ここには書くことができなかった私の一側面やただのぼやき、読んだ本、映画、そんなどうでもいい内容ばかりです。

なので、ただただ根暗にこっそりと書いていました(笑)

でも、そんなど~~~でもいい内容のブログなんですが、別にあえてこそこそする必要もないな、と。

なんかそう思ったんです。

こっちは、一応イントラとしての責任をもって言葉を選んで書いていたところがあります。
責任というと大げさですが、「これを書くと誤解を生むかもしれないからよしておこう。」とか、まぁそんな感じで。
簡単にいうと、いつも読んでくれている方を意識して書いていました。

ですが、そのブログは、真逆です(笑)
読んでいる人を意識なんてまったくせずに、ただ言いたい事を言いたいだけ書いている、とてもわがままなものです。

正直今の私は《愛》だの《慈悲》だの、どうでもよかったりします。

身体の根底から湧き上がってくる言葉ではありません。

《愛》を言葉にすることの希薄さに少々うんざりしていたりします。

自分を愛する、親を愛する、子供を愛する、彼を愛する、友人を愛する・・・・

今の私には、そういった事、もっと人生の先の先でいいんじゃないか、そう思えています。

それよりも、全身全霊で自分を感じること、相手を感じること、それに費やす今でありたいと思っているのです。

身体言語、身体からおのずと発せられる言語が、今の私の言語のあり方です。

そう(笑)、こういう具合に毒を吐きまくっているのがそっちのブログなんです。

ただ、なんとなく、こういう毒吐きの私を開示しても罰はあたらないんじゃないか、と思いました。

なので、興味がある人はどうぞお気軽にお立ち寄りください。


ただ、お伝えすることが二つほど。

まずこのブログを読んでどんな感想をもたれたとしても、私はなにも対応することはできません。
毒吐きを読んで、笑う方いれば、不服な方もいて、戸惑う方もいるかもしれませんが、もしコメントに「戸惑いました」と書かれても、私は本能の赴くままに書いていますから、そのご期待に沿うことはおそらくできません(苦笑)

なんせ、今の私はイントラではありません。

一人の女があ~でもない、こ~でもないとほざいている独り言だということをどうかご了承ください。

もう一点。そっちのブログに詳細を書いていますが、私は生徒の皆さんに言えなかったことがありました。

それは、ヨガを伝えていた時期、私はほとんど生理がきていない状態だったということです。
来ても数ヶ月に一度。
いってみれば、私の子宮は女性のしての機能をほとんど果たしていなかったことになります。
自分は生理が来ていないのに、えらそうに「生理痛に効くポーズ」なんてやっていたんですから、どうしようもないイントラです。

周りのヨガの友人達は「よくあることだ」「そのうちくるよ。」といってくれていました。
その言葉に甘えて、私は教え続けていました。
何より、正直なところその頃の私は、生理が来ていないことをそこまでシビアに考えていませんでした。
「ヨガのプロセスのひとつだろう。」と。
むしろ、ヨガをするには楽チンだ、位の心持ちでした。

それに警告を発してくれた何人かの知人のおかげで、私はハッとして、現状に甘んじている自分にやっときがつきました。

それからもう2年が過ぎました。

今の私は、一人の女性に戻り、生活しています。

女性としての機能が回復した今、改めてあの頃私が皆さんにそれを告知できなかったことをとても申し訳なく思っています。

ブログには、その頃の話も時折、思い出しては書いています。
ヨガに対しての愛情は相も変わらずですが、スタンスは大きく変化しました。

「女性が女性である」事を基盤として、私は今ヨガと接しています。

呼吸一つ、アサナの一つ一つ、ここまで変化するのか、と自分で驚いているくらいです。

自分の未熟さもさることながら、ヨガというツールに対しての私の無知さにとことん打ちのめされましたし、私が今現在望んでいるスタイルをお伝えするまでにはまだまだ時間がかかるようだと、日々感じている毎日です。

でも、いつか、こんな未熟な私の数々の失敗を生かせる日が来ることを切に願っています。

皆さんが健やかに快活に日々過ごされることをお祈りしています。

Ayuco


Over the Rainbow

http://yogarhythm.jugem.jp/




Yoga-rhythm

皆さんのめっちゃ愛のこもったメッセージ、堪らない喜びの中いただきました。
ありがとうございました。
私は、マジでめちゃめちゃシアワセモンです。


お一人お一人にコメントをお返ししようかとも思ったのですが、
どうにもひらめいてしまった事柄がありましたので、それを皆さんとシェアすることでお返事に変えさせていただきたいと思います。


ずいぶん前ある番組で桜井章一さんっていう〔雀鬼〕と呼ばれる麻雀のプロ(笑)が言っていた言葉をメモっていた日記がつい最近出てきました。(ご覧になった方もいるんじゃないかしら?)
なんでその時、そんな言葉をメモったのかはよく覚えていないんですが、よほど共鳴したんでしょうね。
今読み返してみて、さらにいっそうその言葉が響いて、何か忘れていた落し物を見つけたような気持ちがしました。

彼は多額の金額を動かす政治家の代役としてパイを打ち続け、勝ち続けてきた伝説の人なのだそうです。(想像しただけでも背筋が震えるような空間ですね・・)
そんな底知らずの汚い世界に身をおきつつも、彼がそこに見出したものは紛れもなく勝負への〔美〕と彼自身の人生への〔構え〕であったのだということを彼の言葉は物語っています。

彼はこう言っています。

「瞬間は愛なり。」

「だからこそ〔感じろ〕。〔考える」な。」

彼はパイをわずか2~3秒で捨てるそうです。(彼の弟子たちにも徹底的にそれを教え込むのだとか。)
人間が動物として本来持ち合わせている「感じる」という感覚は、何よりも正確で信頼のおけるものだというのが彼の美学です。

私の勝手な解釈ですが、彼は別に「考える」ことを無意味であるとか、不必要であるとか言っているのではないんだと思います。
人間っていうのは他の動物と比べて脳が発達している分だけ、脳に寄り添いすぎて可笑しいほど自分が「動物」であるっていうことを置き忘れてしまいがちであるというのは自分に当てはめてみても痛感するところです。

彼は考えあぐねて人生に悩んでいる弟子たちにいつもこういうそうです。

「泳ぎ方もろくに知らないくせにそんなに沖までいくな。
深いな、怖いな、苦しいな、と感じたら足場が立つ場所に戻ればいい。
泳げるようになったらまた行けばいいんだから。」


私はハッとしました。

そして、思い出しました。

私がYoga-Rhythmというこの言葉に出会ったときの喜び。
ずいぶん前このブログにも書いたことがあるのですが、Yoga-Rhythmという名前はそれこそ空から降ってきたようにインスピレーションとして突然湧き上がって生まれた言葉です。
この言葉が降ってきたとき、「これしかない!」と確信しました。
ひとりガッツポーズ状態でした(笑)
まだ、なんの青写真もできていない、スタジオをスタートする半年ほど前にこの言葉だけが歩き出し、私はただこの言葉の向かう先を追っかけていたような気さえします。

私がヨガを通して強烈に感じ取っていたものは、
「感じる」「味わう」「奏でる」「愉しむ」「笑う」「踊る」「歌う」・・・
そんなとても原始的な感覚ばかりでした(笑)
それが「リズム」という一つの単語にすべて混在しているような気がしたんです。

「一人一人リズムが全く違ったっていいじゃない。
まずは自分のリズムを感じて、そのリズムのまま人生を味わって人と重なり合って音を作っていこう!
だってそれがヨガでしょ!!」

それが私のスタンスであり、中核でした。

足場がつく浅瀬に戻ってみて改めて、自分の原点はここ〔原始的感覚=Rhythm〕にある、そう確信しています。
廻り回って同じ場所に戻ってきた感覚です。
私を生んでくれた両親の元ででそう感じ始めている今は、yoga-rhythmが生まれた瞬間よりもずっとこの言葉の存在に感謝しています。
そして、地に足がついている心地よさを味わっています。

もうしばらく、私はこの浅瀬で自分の原点を肌で感じる日々を過ごしていこうと思います。

そしてこの原点がスタンスでもなく、中核でもなく、私と溶け込んだとき、また知らぬ間にいつのまにか泳ぎだしているのだと思います。

距離が離れていても、言葉を交わさなくても、繋がるときは繋がる。

私はそう信じています。

次お会いするとき、皆さんがどんな風に変化されているのか私はとてもとても楽しみです。
私はなんにも変わってないと思います(笑)
今よりさらに馬鹿正直さは加速していることは間違いないでしょう・・・
一休さんのように(笑)死ぬときは思いっきり駄々こねて「死にたくねぇなぁ~もうちょっとこっちにいさせてくんないかなぁ」と呟くような人間臭い人間であり続けたいと願ってます。


皆さんと出会えた私はホントーーーーにシアワセモンです!

いつか皆さんからいただいたたくさんの幸せをトイチの上乗せでお返しできる日が来ることを願っています。

LOT'S OF LOVE


AYUCO

ある方から薦められて読んだ本にこんな一節がありました。
それは、まさに母が私に伝えようとしてくれていることそのもののような気が
しています。

男女に限らず人と人とは、お互いに理解しえぬ孤独に耐えるべきものです。
理解することばかりが愛情ではない。
理解しえぬ孤独に耐えるのも愛情です。
愛情があれば、その孤独に耐えられましょうし、また相手の孤独を理解しうるでしょう。

ありがとうございました。

何度、今日こそは言葉を発しようと思って日を過ごしていたんでしょうか・・・

言葉が浮かんでこないというよりも、発するっていう作業そのものができなくて今に至ります。

言い訳はたぶんいくらでもできました。
皆さんを安心させるために元気なふりをすることもたぶんできたはずです。

でもその言い訳や振りはどれもこれもあやふやで言葉を重ね合わせることがどうしてもできませんでした。

このブログには今までありのまんまの私を投影してきて、いってみれば私の分身ですから、「書ける」まで待つことしかできませんでした。
「書かない」ということが私の数ヶ月のそのまんまの姿です。

社会的にかなり不適合な行為で、周りの方々にどれだけご心配をかけるであろう行為であるか、百も承知であえて選んでいました。

目の前にある状況と、私が向かおうとしている道が、どうやってもかみ合わない今があります。

今まで33年間、なんだかんだで思い巡らしていても答えがすっと目の前に降ってくる幸運の中で生きてきました。
そしてその感覚の働くままに流れてきて、かなり恵まれた道を選ばさせていただいていたと思います。

その感覚が全く降ってこないどころか、「考える」作業をすればするほどどつぼにはまってしまう状況が続いていました。
そして、「考える」という作業を中断した私は、結局その間、目の前の両親と過ごすことにだけにフォーカスすることしか残されていませんでした。

今まで数々私を救ってくれたそのありがたい感覚は、今回ばかりは、どうやら私が向かおうとしている方向とは別の道に導いているようだと気づいたのはつい最近です。
・・というよりは、気づきたくなかったのだと思います。

去年の今頃、私は「ヨガ」そのものがわからなくなって散々悩んだ末、結果、その大切さを再認識できたのは親との生活の日々があったからでした。
そして今、皮肉にも、ヨガの道に全く迷いのかけらすらなくなった私が、ぶつかったのは、やはり両親でした。

自分だけがインドやらにいって、ヨガを深めたつもりでノウノウとヨガを教える姿が、どうやったって想像できない。父と母の姿と、私がヨガをしている姿は、どういいように考えようとしてもうまい具合につながらないのです。
もうこれは言葉以前の問題でした。
現実、目の前に強烈に自分を必要としている二人がいるわけで、そこから身動きが一歩もとれない、ただそれだけです。

この状況が、OL時代だったら、私はおそらく仕事を続けながら親の介護もしていたのだと思います。「つらいなぁきついなぁ」なんてぼやきながら。
でも、これも皮肉なことに、ヨガに出会って「すべての状況は自らが創造している」という黄金律がいつのまにか体にしみこんでいます。
私自身が、両親を心から愛さない限り、状況はなにもかわらない、ってことだけは確かなことです。


ヨガと介護という二束のわらじをはくなんていう器用なことを自分がやってのけれるとは、思えません。
私にとって、母がお笑いの番組を見ながら笑っている時間を少しでも長く、歩ける距離がすこしでも伸ばせて、また庭の花に興味を持ってもらうことのほうが大切なんだと思います。
それはひとりよがりな私の欲であり望みであり希望であり、母の為というより、結局私のためなんだとも思います。

私の現在の生活は、ヨガの教えとは程遠い、めちゃめちゃ普通のヨガっぽさからかけ離れた生活です。
でもそれが、今の私にとってよりリアリティあふれる場所です。
私自身がヨガをやめることはおそらくこれからもないでしょうが、それは今までのリズムとは異なり、私なりのヨガをこれからも続けていこうと思います。
もっと早く、みなさんにご心配をかける前に、この決断に至っていればよかったのに、と思います。

失うことを怖がっていたら、親ともヨガとも、自分ともいつまでたってもこのまんまなんだと、今書きながら改めて感じています。

このブログは今日をもって一旦終了します。


今まで、暖かく私を見守ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
皆さんに出会わなかったら、今の私はいませんし、こんなにヨガの深さを知ることもなかったでしょうし、なにより、まず「愛」ってものを知ることはなかったと思います。
私の一生のテーマに出会えたのは、何よりの宝です。

これからも皆さんがそれぞれのリズムで本物の「愛」を探索する人生を送られることを心から祈っています。
そして、いつも心の中で応援しています。

いつか、再会できる日があれば、それがヨガの場であることを願いつつ・・・

Shanti shanti shanti


AYU















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